厳選した国産信州牛すきやき、しゃぶしゃぶ、焼肉の宗石亭[長野県須坂市]

ギュウブロ

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2008年12月08日
信州牛 雌 三才 極上

タイトルを見て理解できた方は、牛肉のプロの方々です。

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和牛の王道、メスの3才。
その風味の良さと極限の軟らかさは、しゃぶしゃぶに最適かと思います。

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脂なのにしつこさを感じさせない。脂質の良さが雌牛の特徴。

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2008年09月24日
信州牛の経歴5

日本人の主食「お米」の偽装問題が毎日報道されています。
本来食べられない物を流通させてしまった、業者の罪は重いと思います。
まったく酷い話です。
「儲かれば何をしても良い」という概念は、私たち日本人の商道徳のなかで、特に食品業界では最も軽蔑され、すでに淘汰されたと思っていました。
しかし、確信して犯罪を実行する人々がいる限り、問題は根深いようです。


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味覚の秋の到来です。
地物のキノコが出回り始めると、すき焼としゃぶしゃぶが一段と美味しく感じられる季節がやってきます。
一足早く、鍋物用の長野県産和牛と交雑種の手当てを開始しました。より良い品質を確保するためには、常に早めの発注が市場において必要なため、慎重な選別が必要です。
今年の秋冬も常に「ぶれない」信州牛の品質の確保を最優先課題として、お客様のご信頼にお答えしたいと思います。

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2008年06月30日
信州牛の経歴4 

長年、牛肉の商いに携わっていると、忘れられない一頭(牛のことです)が存在します。
私の場合は、父が私の後学の為に買ってくれた長野県のチャンピオン牛がその一頭にあたります。
よく肥育されて、全身が霜降り状態になった肉を昔は「特選」と呼びましたが、現在は「A-5」という規格名に統一されています。
そんな高品質な牛肉のことを、プロは尊敬の念をこめて「トビ」と呼びます。
父は息子に牛肉のピンからキリまで教えるために、不採算を承知の上で「トビ」を買い与え、「好きなように精肉しなさい」と命じました。
「トビ」の語源は忘れてしまいましたが、私にとって初めての特選肉は感動ものです。より丁寧な精肉を心がけ、大切に使ったものです。
しかし、桁外れの高額な肉なので、売れば売るほど赤字です。何とか儲からなくても損失を出さないようにするには、必然的にコストに目覚めるを得ませんでした。


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父の商いの教育方法は少々乱暴でしたが、商売の実戦で覚えた知識はその後、当店の仕入れの基本となっていきます。
また、その一頭の全部位を試食したことが、私の牛肉に対する味覚を鍛え上げ、お客様に自信を持って提供できる「牛肉の目利き」に育ててくれました。

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2008年05月27日
信州牛の経歴3

信州で牛肉が大量に消費されるようになったのは、三十年前ぐらいだと記憶してます。
それまでは高品質な和牛は名古屋・京都・大阪へ出荷されていました。
私の父が若い頃、小諸などの家畜市場で近畿圏へ出荷している業者に競り負け、仕入れが出来ず悔しい思いをした話をよく私にしていました。
当時信州では地場消費の量が少なく、よって近畿圏の相場についていけない為、欲しい和牛を競り落とせなかったのは容易に想像がつきます。

もっと以前の話になりますが、私の祖父は新潟まで仕入れに行っていました。板倉という町に懇意にしている農家があり、牛2~3頭をつないで富倉峠を牛を追いながら飯山へ向かうという日程だったようです。
もちろん徒歩です。
途中、季節はずれの大雪に見舞われ「もはやこれまで」と覚悟を決めかけたとき、富倉の村の人に助けられたそうです。
その時頂いた熱燗の味が忘れられないと、懐かしそうに話していました。
ちなみに私の祖父は、お酒はあまり好きではなかったので、余程の状況だったのだと思います。

いずれにしても、先代・先々代ともに牛肉の商いで重要だったのはいかに集荷するかでした。



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昭和五十年代になると、日本はあのバブルな時代を迎えます。
信州でも和牛の消費量が大幅に増え、高品質な信州牛が地元でも流通するようになりました。
畜産会社の営業マンが競ってセールスに訪れたのを思い出します。
また、この頃から牛肉の品質が次第に安定し始めたようです。
末端のバイヤーが品質を確認して選んで仕入れをするようになったので、生産者も飼料の改良など、たいへん努力をした時期です。

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安定した品質の信州牛をお客様に提供できる現在、次に考えなければいけないことは、この品質をいかに維持するかだと思います。

ここ数年、世界の穀物・商品市場が私たちの知らない場面に遭遇しています。
畜産にとって飼料の急騰という逆風が吹き荒れている今、私に出来ることは地産地消のお手伝いを続ける以外ありません。

2008年05月21日
信州牛の経歴2

今から二十五年以上前、信州では食肉の流通がまだ完全に整っておらず、父は小諸の家畜市場に牛を仕入れに月数回出かけていました。
当時私は東京の食肉加工会社に勤務していて、毎朝芝浦の食肉市場から保冷車で商品が各支店に配送されるのを、当たり前のように見ていたので「ずいぶん環境が違うな」と思った記憶があります。
しかし、それは過渡期であっただけで、物凄いスピードで地方の流通も整備されていたようです。

私が当店で働き始めた頃は、父は家畜市場にはほとんど行かなくて済むような状況でした。
ある日、父が久しぶりに家畜市場に出かけると言い出し、私も同行することになりました。
もともと当店は小さいながらも牧場と牛舎を所有していましたので、私にとって家畜は珍しくありません。しかし、市場は初めてだったので非常に興奮しました。
父は私に市場を見せたかったようです。

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その後、地方の食肉流通の整備は加速されアッという間に私の知っている、都会並みの普通の配送システムになりました。
それと同時に食肉業界への参入者が一気に増加してきます。

父のおかげで生産から流通まで、すべて肌で感じることができた私はバイヤーとして、相当自信が持てるようになり、今日の当店の牛肉の品質に繋がっています。

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画像はモモ肉の一部で関東ではトモ三角と呼びます。関西ではヒウチとかヒカワと呼んでいるようです。
父の好きな肉の部位で、大切に使っていました。味の良い締まった肉質が好みだったのでしょう。

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