大正から昭和の北信州では牛肉・馬肉混在の消費でした。
高品質な和牛は農家の貴重な現金収入として近畿地方へ出荷され、地元での消費は僅かなものだったようです。
当店も創業当初は和牛一本という訳にはいかなかったのです。
軍用馬の払い下げや農耕用の牛馬が貴重な蛋白源として食用となりました。
少なくとも現在の当店のように、霜降り肉ばかりをお客様に提供するのは不可能でした。
穀類が不足し、家畜を太らせる術など持たない時代には硬い赤身肉が主流だったようです。
昭和初期は肉の脂が不足していた時代が長く続き、赤身肉の調理法として「味噌料理」はたいへん有効だったと思います。
もう一点。その昔は冷蔵庫がありませんでした。
信州の冬は厳寒な気候なので問題ありませんが、その他の季節は肉の保冷に工夫が必要です。
氷は高くつくので、当店では氷室を使用していました。
現在の「JAすこう・アグリス」界隈に氷室があり、自転車でブロック肉を運んだのだそうです。
それにしても、鮮度抜群とはいえない品質が想像できます。
店舗内に氷を使用した、木製の冷蔵庫が登場するのはその後のことです。
この問題に関しても「味噌」はたいへん有効な特質があります。
鮮度劣化のはじまった肉の臭みを取る効果があるのは、魚料理などでも既に一般的だったため、肉料理でもおおいに活用されたのだと思います。
我家では現在でも年に何度か馬肉の味噌煮込みを食べます。
牛肉とは違った、懐かしい故郷の味です。須坂生まれの私のソウルフードのひとつ「味噌煮込み」
私の子供の頃の懐かしい味覚をもうひとつ。
すき焼屋の息子は店にあるからといって、いつでも牛肉を口にしていたわけではありません。
あくまで牛肉はお客様用の大切な素材であって、食べ盛りの子供たちにとって最も親しみ深いのはやはり豚肉です。
「エバラ焼肉のタレ」とか「ホットプレート」の存在しない時代には豚肉もすき焼が主流でした。なかでも豚バラ肉のすき焼が我家では最もポピュラーな賄い食のひとつだったのです。
店が忙しく、子供たちの夕食兼賄い食が間に合わないときは「豚バラ肉のすき焼」がよく登場したのを思い出します。店にある豚バラ肉と長葱と割り下があれば、子供でもガス台で作れるので、慌しい師走の頃を思い出す味です。
当店の昔の割り下は味噌を使っていましたので、これがまた豚バラ肉の脂によく合っていて、簡単なわりに深い味わいです。
子供ながらに「豚肉のすき焼はバラ肉に限る」と生意気なことを感じていたのを思い出します。
豚肉は牛肉に比べ水分が多く、タレの味が滲みこみにくいので牛肉のようにサッと煮て食べても美味しくありません。
特に豚バラ肉は、鍋に脂がチリチリと染み出るまで煮ないと本来の味にならないようです。
割り下に味噌が含まれると適度な濃度が加わり、しっかりと味がつきます。
豚肉と味噌の相性の良さは、豚汁や味噌ラーメンばかりではありません。ご自宅でも豚バラ肉のみそすき焼を是非お試しください。
味噌仕立ての割り下は確か「須坂市観光協会みそ料理乃會」が販売する予定だったように記憶しています。観光協会にお問い合わせください
興味をお持ちの方は「みそすき」で検索してみてください。
名古屋名物のコーチンの味噌すき焼の情報が多いですね、やはり。
中京地方独特のかしわ(鶏肉)のすき焼は赤味噌を使っているので、好みの分かれるところですが、私は美味しいと思います。
しかし、信州すざかのみそすきは、これとは異質なものだと感じました。
そこで「横浜 みそすき」で検索してみると・・・、ありました。
どうやらこれが一番近そうです。
http://www.asahi.com/food/news/TKY200804210051.html
なんと慶応義塾大学の学食で「味噌すき牛鍋風」が販売されていたようです。
記念行事の特別メニューらしいのですが、「福沢諭吉翁が好んで食べ、学生にも振る舞ったというみそ味の「牛鍋」からヒントを得た」とのこと。
やはり、すき焼のスタート地点は「みそすき」味噌仕立て牛鍋が正解のようです。
これが全国的に拡がり、須坂の高品質な信州味噌と出会い、独特のみそすきに発展したのだと思います。