厳選した国産信州牛すきやき、しゃぶしゃぶ、焼肉の宗石亭[長野県須坂市]

ギュウブロ

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2010年10月26日
本治郎伝 四

時は六月下旬拾度、春蚕の四眠起きで、農家は忙しい真っ最中だ。
河東線軽便鉄道が屋代から須坂まで開通の三日目のこと、須坂駅開設第一号の帰還兵であった事も思い出の種である。
さて、兵役二年半の空白の故郷は、山河に変りはないが、村人の接する感覚が何となく大人扱いされている気がして、そろそろ将来の途を考えるようになってきた。

其の頃、同級生で陸軍にいった寺村の山岸鶴吉君が俺と同じ次男坊で境遇がお互いに似ているから、話が合うのも当然で、いつしか一つの目標に同調するようになった。
其の目標というのは、当時、朝鮮巡査の募集中であったので、時の駐在(巡査)徳竹さんに内容を聞いたところ、兵役年数戦時加算されるから、三年もいたら恩給がつく、という好条件だったので早速応募する事にして、書類提出の段になっところ、戸主(世帯主)の同意印鑑が必要となり、止む無く兄に意中披歴、同意を求めたところ、考え深い兄だから「よく考えてみる」と至難の気配。
二日ばかりしたらお袋に話したそうで、お袋が大反対で遂に不成功!(帰郷二年目)

不運にも其の年の秋、お袋が目を患い高田市の眼科医院に入院。俺が付き添いだ。
ところが三ヶ月経っても駄目で、翌春思い切って当時有名な秩父の眼科へも行ったが絶望の宣告。其の序に受診した東京大学病院の診察も同様なので諦めて帰宅。自宅療養に専念の身となる。
年老いた全盲のお袋の不憫さを見る俺の将来の夢も、自然と縮みがちとなった。
翌春たまたま幸高町の家から話のあった、福島町の農家への養子話に同意する心持ちになってきたのも、無理ならぬ事と自問自答していたが、けっして満足していた訳ではない。

やがて花咲き春も過ぎた真夏の或る日、突然まったく突然。
裏の畑で農作業中、隣家のおみちおばさんが裏座敷に居て、再三お茶を勧められるので、昼寝起きで暑い盛りだし直ぐ側の畑に居たから断りきれず頂くことにした。だが、誰かお茶の連れが居る事は感じていた。
お茶をよばれ四方山話の中で、俺の婿養子話がでた。其の時同席していたのが中灰野のお袋さんであった。
突然の事だし、チョイチョイ冗談話も気軽に口走るおみちおばさんだから俺も気軽な気持ちで「何分、お頼み申しやんす」とやった。

運命とは全くわからぬもの。「お頼み申す」の一言が俺の其の後の将来の決定付けとなるとは・・・


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