
当時の精肉業は畜産業と同義である。
電話一本で成型肉が届く筈もない。まずは家畜を集めることが最も重要な業務であった。今では死語となった馬喰が家畜の流通を担って、時代の風を受けて活躍していた時代。
馬喰達は現在で言う相場師である。ギャンブラーでもあった。
彼等は扱う品は牛でなくとも良い、米でも小豆でも不動産でも良かったはずである。換金性の高い商品としての家畜に興味はあっても、精肉して流通させ、「旨い栄養のある肉を庶民にも食べさせる」ことにより国家国民の栄養状態を向上させ、日本人の健康増進に寄与する。と言った政府の国策には興味を持たなかったはずである。
当時の食肉流通。全国に馬喰のネットワークはあったが、戦中戦後の大混乱の時勢。人が食べていくのに精一杯なのに牧場経営なんて成立するわけがない。農耕用の牛や馬が彼等の手により流通していたに過ぎない。
しかし。利ざやが稼げる馬喰稼業は業界の規範や市場の公平性が整備されていなかったので、大きな利益を生んでいた。
戦後のGHQ占領時代、彼等の求めに応じて牛肉を集荷できる精肉業の老舗達は、ドル決済にて巨額の富を得ることが出来た。その手先としての馬喰達も大活躍できた時代だ。
現在の東京の食肉に関わる大手企業はその末裔たちである。
時代の追い風を受けた老舗精肉店は、東京、名古屋、大阪など都市部各地で成長発展、企業化し始めていた。
集荷も自社社員と新設食肉市場で調達できるように成っていた。
そして、馬喰達は食肉流通の整備と商取引の近代化とともに役割を失い、衰退の一途をたどる。彼等は家畜取引は出来ても、精肉技術や設備すら持たない。
利ざや稼ぎが無くなれば、辞めるだけの零細業種となっていった。
中には時代を見据え、近代的な食肉工場を経営し成功する者も現れたが、少数派であった。多くの馬喰達は時代の潮目を読み間違え、この業界から去っていく。