2010年11月06日
本治郎 外伝
本治郎は運良く開業に至りましたが、素人商売故に困難も多く、努力も報われない、採算性の乏しい厳しいスタートとなりました。
開業以来、赤字経営が続き、ようやく商人として周囲に認知されるまで、約十年の月日を要しています。
大正から昭和の北信州では牛肉・馬肉・豚肉混在の消費でした。味覚よりも蛋白源の確保が、重要な時代のことです。
高品質な和牛は農家の貴重な現金収入として近畿地方へ出荷され、地元での消費は僅かなものだったようです。
消費も流通も未開のなかの開業、黎明期でした。
当時の養豚も農家の軒先で飼う程度の小規模で、畜産と呼べるものではありません。
そこで、軍用馬の払い下げや農耕用の牛馬が蛋白源として食用となり、少なくとも現在の当店のように、霜降り肉ばかりをお客様に提供するのは到底不可能なことでした。
本治郎は仕入れの苦労から、家畜商の必要性を感じ、昭和の畜産の復興を試みます。
集荷のため、国鉄で新潟・新井まで行き、牛二頭を繋ぎ、徒歩で富倉峠を越えて飯山へ向かう。そんな時代が続きます。
晩秋の富倉で、予期せぬ吹雪に襲われ、死線を彷徨う寸前で村人に助けられた逸話も、日常の一部でした。
そして、ようやく成功の糸口を掴んだ本治郎は、町内の顔役として活躍を始めます。
しかし同時に、日本は本格的に戦争を始めてしまいました。